ペットを溺愛する飼い主さんを見て、「本当に動物のことを考えているのだろうか」と感じたことは、獣医師として一度ならずあります。
かわいい服を着せられ、人間と同じベッドで眠り、SNSに映える写真を撮られ続ける犬や猫たち。それは「愛」なのでしょうか。それとも、人間の孤独や承認欲求を満たすための「独りよがりの愛」なのでしょうか。
長年動物医療に携わってきた私なりの考えを、正直にお伝えしたいと思います。
「ペット愛護」と「動物福祉(アニマルウェルフェア)」は、似ているようで本質的に異なります。愛護は人間の感情・情愛が中心であるのに対し、アニマルウェルフェアは動物自身の視点・科学的根拠が中心です 。
国際的な基準では、動物の福祉を「5つの自由」で定義しています 。
① 飢えと渇きからの自由
② 不快からの自由
③ 痛み・疾病からの自由
④ 本来の行動が取れる自由
⑤ 恐怖・抑圧からの自由
この「④本来の行動が取れる自由」こそが、最も見落とされがちな視点です。犬は走り回り、嗅ぎ回り、群れで社会生活を送る動物です。猫は縄張りを持ち、狩りの本能を持つ動物です。その本能を無視して「かわいいから」「寂しいから」と人間の都合に合わせた生活を強いることは、どれほど愛情を注いでいても、動物の福祉の観点からは問題をはらんでいます 。
😔 独りよがりになりやすい「愛」の典型例
獣医師として現場で見てきた、善意だが動物の立場に立っていない例を挙げます。
「かわいそうだから」という理由での過剰な延命治療。飼い主さんの「まだ一緒にいたい」という気持ちは理解できます。しかし、苦痛を伴う治療を続けることが、果たして動物のためになっているのか。その判断を、感情ではなく動物の苦痛レベルで冷静に行うことが、本当の愛情だと私は思います。
多頭飼育崩壊の背景にある「独りよがりの愛」。 「かわいそうで捨てられない」という気持ちが積み重なって、最終的に全頭が劣悪な環境に置かれてしまうケースが後を絶ちません。孤独や孤立を抱えた飼い主さんがペットに依存し、結果として動物が犠牲になるという構造が指摘されています 。
「擬人化」の落とし穴。人間と同じ食事を与えたり、ストレス発散の服を着せたり、動物が喜んでいるかどうかよりも「かわいく見えるか」が優先されることがあります。動物は言葉で「嫌だ」と言えません。だからこそ、飼い主が代わりに動物の立場で考える義務があります。
🌱 「独りよがり」を超えた愛とは何か
では、本当の意味でペットを愛するとはどういうことでしょうか。私は、「その子が、その子らしく生きられているか」を常に問い続けることだと思っています。
人間の都合や感情を一旦脇に置いて、「この子は今、何を感じているか」「この子の本能や習性が満たされているか」「この子の苦痛を私は見逃していないか」。その問いを持ち続けることが、独りよがりの愛を超えた、真のペット愛護だと考えます 。
民法上、ペットはいまだに「物」として扱われています 。しかし命ある存在として、感情を持つ存在として、そして私たちとともに生きるパートナーとして、動物を見つめ直す社会へと変わっていくことが必要です。
「私自身、みかんという下半身不随の捨て猫を9年間飼っていました。彼女は一人では排尿も排便もできず、毎日私が介助しました。4本足では歩けなかったけれど、前足2本で力強く歩き回っていました。
私がみかんのためにしていたことは、決して「かわいそうだから」ではありません。彼女が彼女らしく、精一杯生きることを支えたかったからです。それが9年間続けられた理由だと、今も思っています。
「かわいい」だけでなく、「その子のために正しいか」を考える飼い主さんが増えることを、診察室から願っています。

コメント
先生いつも有難うございます。
「ペットウエルフェア」という言葉初めて知り勉強になりました。
そうですね、人間ってつい動物を人間目線・飼い主都合にしてしまいがちです。
日本でもペットブームで服着せて写真や動画撮影したり….
「かわいい~」が先行し動物達本来の生き方や自由を無視しがちですね
ぼくもジョン・レオ・マックス(すべて捨て犬)を家内で飼っていましたが
アイス欲しがるので一緒に食べたり罪深いことをしてしまった、と今思います
ジョンは7年で皮膚がんになり見習い獣医師の早期見落とし(僕は皮膚がんでは?と尋ねた)&2度の手術で切開手術縫い合わせも失敗。最期は往診で麻酔を打ってもらい
家で息を引き取りました。 手の掛かるジョンでしたが一番愛らしい長男でした。
これからもいろいろとご指導ご鞭撻のほど宜しくお願い申し上げます。
コメントありがとうございました。よろしくお願いします。